東京高等裁判所 昭和39年(ネ)1125号 判決 1965年11月08日
控訴人 折笠菫
被控訴人 国
訴訟代理人 鎌田泰輝 外一名
主文
原判決を次の通り変更する。
1 被控訴人は控訴人に対し金弐拾五万円及びこれに対する昭和参拾五年六月弐拾弐日以降右完済に至るまでの年五分の割合による金員を支払うべし。
2 控訴人のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は原審及び当審を通じこれを四分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、原判決を取消す、被控訴人は控訴人に対し金五十万円及びこれに対する昭和三十五年六月二十二日以降右支払済に至るまでの年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は第一審、二審とも被控訴人の負担とする、との判決を、被控訴人指定代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張並に証拠の提出、援用及び認否は、控訴代理人及び被控訴人指定代理人においてそれぞれ次の通り附加陣述し、且控訴代理人において当審における鑑定人榊原孝の鑑定の結果を援用した外は原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。
一、控訴代理人の陣述
1 控訴人は本件事故の被害者亡折笠昭夫の母としてその固有の資格に基き慰藉料金五十万円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和三十五年六月二十二日以降右完済に至るまでの年五分の割合による遅延損害金の支払を請求するものである。
2 訴外折戸敏克が本件事故の発生した交差点において右折すべくその運転していた普通貨物自動車(以下被控訴人車という)の進行方向を右に変えた際、右自動車の運転台外側に取付けられたバツクミラーによる後方の見通しが急速に可能になつたのであるから、折戸において相当の注意を払つておれば後方から進行して来た本件事故の被害者折笠昭夫の運転する第二種原動機付自転車(以下控訴人車という)を確認し得た筈である、また被控訴人車の運転台内側に取付けられたバツクミラーによる後方視界の死角は約二一・五米であるが、控訴人車の高さは少くとも一・二米はあつたのであるから、右死角は実際上は五米強に過ぎなかつた。しかも控訴人車が被控訴人車の直後五米以内に接近したということは考えられないことであるから、訴外折戸は運転台内側のバツクミラーによつても後方から進行して来る控訴人車を確認し得た筈である。しかるに訴外折戸が控訴人車に気付かず漫然右折したのは、自動車運転者として交差点における右折に当つて守るべき後方の安全確認の義務をた怠つたものと言わなければならない。
二、被控訴人指定代理人の陣述
被控訴人車が交差点の手前約三〇米の地点で方向指示器を上げた時及びその時に至るまでの間は控訴人車は被控訴人車に続く後走車に隠れてその右側に現われておらず、被控訴人車が右折を開始した頃突然後走車の右側に廻つてこれを追越し、一且左転してその左前方に出た上更に右転してセンターラインに向い進行したものである。従つて被控訴人車が右折を決めた当時控訴人車は被控訴人車からはその後方線上の見通しの利く範囲内にはなかつたものである。仮に右の範囲内にあつたとしても控訴人車の蛇行運転の状況等に照し、それは瞬間的なものであつたと考えられる。のみならず被控訴人車のバツクミラーの後方可視範囲は五〇米を出ず、また法規上も後方五〇米以上を要求されていないところ、控訴人車及び被控訴人車の当時の速度から推しても、被控訴人車が右折を決めた当時控訴人車は被控訴人車の後方五〇米以内にはなかつたのであるから、被控訴人車の運転手折戸がバツクミラーによつて控訴人車を確認することは不可能であつたと言わなければならない。また、自動車運転者は、特別の事情のない限り右折に際しその都度直接肉眼で後方の安全確認をする義務はないばかりでなく、被控訴人車の右折時の控訴人車の位置からすれば、訴外折戸が直接肉眼で後方を見たとしても控訴人車を確認することは不可能であつたと考えられる。更に被控訴人車は交差点を内小廻りしたけれども、小廻りの程度は僅かであつて、控訴人車の被控訴人車への衝突個所から判断すれば、被控訴人車が仮に交差点を外廻りしていたとしても本件事故の発生はこれを避けることができなかつたものである。
理由
本件事故現場附近の事故発生当事の状況並に控訴人車及び被訴人車の進行状況その他本件事故発生に至るまでの事実関係に関する当裁判所の判断は、原判決理由において説明するところと同一であるからここに右理由説明(原判決十三丁裏一行目から十五丁表九行目まで)を引用する。
右認定の事実によれば、被控訴人車を運転していた訴外折戸は、本件交差点を右折するに当りその手前約三〇米の地点で方向指示器を上げるとともに時速を約一〇粁乃至二〇粁に落して徐行し、ついで交差点の約一〇米手前でバツクミラーによつて後方の安全を確めたが右折の障害となる車輛等を発見しなかつたので右折を開始したものと認められるのであつて、右折を開始するまでは訴外折戸は自動車運転者として通常守るべき注意義務を果したものというべく、同人に過失があつたとすることはできない。控訴人は訴外折戸が右折に際し後方の安全確認を怠つた旨主張するけれども、当時における被控訴人車、これに後続する訴外磯部、高橋、菊池の運転する各貨物自動車並に控訴人車のそれぞれの位置、間隔及び進行状況、現場附近の道路の状況等を綜合すれば、本件事故が発生するまで控訴人車は被控訴人車の運転台外側及び内側に取付けられていたバツクミラーの視野に入ることがなかつたか、またはその視野に入つたとしても瞬間的なものであつたと考えられるのであつて、訴外折戸が控訴人車の接近することに気付かなかつたとしても、同人に過失があつたとすることはできない。また自動車運転者は通常の場合交差点の右折に当つてその都度直接肉眼で後方の安全を確認しなければならないものではないばかりでなく、被控訴人車の右折時における控訴人車の進行状況から判断すれば仮に訴外折戸が右折の際直接肉眼で後方を見たとしても果して控訴人車を確認することができたかどうかは疑問である。
従つて訴外折戸が後方の安全確認を怠つたとする控訴人の主張はこれを採用することができない。当審における鑑定人榊原孝の鑑定の結果も右の認定を妨げるものではなく、また他に右の認定を左右するに足る証拠はない。
次に訴外折戸が交差点を右折する際交差点を内小廻りしたことは当事者間に争がないところ、被控訴人は仮に被控訴人車が交差点を外廻りしていたとしても本件事故の発生は避けることができなかつた旨主張する。しかしながら右の主張を肯認せしめるに足る証拠がないばかりでなく、却つて被控訴人車の右折当時における被控訴人車及び控訴人車のそれぞれの進行速度(昌頭に引用した原判決理由説明記載の通り被控訴人車の進行速度は時速約一〇粁乃至二〇粁であつたのに対し、控訴人車の進行速度は時速約五〇粁であつた。これを秒速に直せば前者は秒速六米を出ないのに対し、後者は秒速一四米に近く、一秒間約八米の速度差があることとなる。)、被控訴人車と控訴人車の衝突時における両車の位置、衝突の態様及び原審における検証の結果を綜合して判断すれば、訴外折戸が右折に当つて若し交差点の中心の直近の外側を廻つていたとすれば本件事故の発生は或はこれを回避し得たかも知れず、少くともその一半の可能性があつたことはこれを否定することができない。而して当時施行されていた道路交通取締法(昭和二十二年法律第百三十号)第十四条の規定によれば、自動車の右折は公安委員会が特に必要があると認めて指定した場所以外においては交差点の直近の外側を回つてしなければならないこととなつており、しかも本件事故現場である交差点について公安委員会の特別の指定があつたことについては何等の主張も立証もないのであるから、訴外折戸には交差点の右折に当つて守るべき右法律の規定の違反があつたものと言わなければならない。もつとも本件事故の被害者である亡折笠昭夫が酒に酔つて控訴人車を運転し、しかも制限速度四〇粁を越える速度で被控訴人車に後続する訴外磯部、高橋及び菊池の運転する貨物自動車を波状運転をしながら次々に追越すなど、いわゆる無謀操縦をしていたものであることは昌頭に引用した原判決理由説明記載の通りであつて、昭夫の右のような無謀操縦が本件事故発生の最大の原因をなしていることはこれを否定することができないが、右に認定したように訴外折戸が交差点を外小廻りをしておれば昭夫の右無謀操縦にも拘らず本件事故を回避し得た一半の可能性があつたと認められる以上、訴外折戸が前記法律の規定に違背して交差点を内小廻りしたことも本件事故の発生とは無関係であるとすることはできない。
およそ自動車運転者が自動車を運行するに当つて交通取締法規を遵守すべき義務があることは言うまでもないところであつて、自動車の保有者は運転者の交通取締法規違反の行為が事故の発生と因果関係がないことを立証するのでない限り、運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたことの証明があつたものとすることはできないものと解するのを相当とする。而して折笠昭夫が本件事故によつて死亡したことは当事者間に争なく、また訴外折戸が総理府北海道開発局函館建設部函館出張所に勤務する運転手であつて、同人が本件事故当日右開発建設部が使用する被控訴人車を運転して砂利敷作業に従事した後本件事故が発生したことも当事者間に争のないところであるから、被控訴人は本件事故当時被控訴人車を自己のために運行の用に供した者と言うべく、従つて被控訴人は被害者折笠昭夫の死亡によつて生じた損害を賠償する義務があるものと言わなければならない。ただ昭夫に無謀操縦の事実があり、このことが本件事故発生の最大の原因をなしていることは前記の通りであるから、損害賠償の額を定めるに当つて右事実が斟酌されなければならないことは言うまでもないところである。
よつて進んで損害賠償の額について按ずるに、成立に争のない甲第一号証及び第六号証の一、二並に原審における控訴人本人訊間の結果を綜合すれば、被害者折笠昭夫は控訴人の唯一人の男子で本件事故当時満二十五才、福島県安積高等学校を卒業後一且海上自衛隊に入隊したが、その後昭和三十五年一月北海道に赴き同年三月から株式会社函館ホンダモータースに勤務し、本件事故発生に至るまで一箇月五千円乃至二万七千円程度の給与を受け、控訴人に対しても月々若干の仕送りをしていたこと、控訴人は昭夫の実母であつて早く夫を失い、女手一つで昭夫を含む三人の子女を養育してきたのであるが、長女はすでに他に嫁し、昭夫死亡後の現在では新聞の販売及び配達による自身の収入と二女が勤務先から受ける給与とで生活を維持し他に見るべき資産を有しないことを認めることができるところ、以上の事実に昭夫が函館で結婚した内縁の妻訴外川岸幸子に対し労働者災害補償保険法による遺族補償費五十六万四千四百八十円及び葬祭料三万三千八百六十八円が支給された事実(この事実は成立に争のない甲第一号証及び第三号証並に原審における控訴人本人訊問の結果によつて認めることができる。)を綜合し、且前記のような昭夫の過失を斟酌するときは、被控訴人は控訴人に対し慰藉料として金二十五万円及びこれに対する本件事故発生の日であることにつき当事者間に争のない昭和三十五年六月二十一日の翌日以降右完済に至るまでの年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものと言わなければならない。
よつて控訴人の本訴請求を右の限度において認容しその余を棄却すべく、これと結論を異にする原判決は民事訴訟法第三百八十四条及び第三百八十六条の規定によりこれを変更することとし、訴訟費用の負担につき同法第九十二条及び第九十六条の規定を適用し、主文の通り判決する。
(裁判官 平賀健太 加藤隆司 安国種彦)